格安新幹線ホテルパック JRと宿泊のセットプラン

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真田三代史跡めぐりと別所温泉散策<日程表> 別所温泉泊1泊2日パターン

都市名 時間 スケジュール
1日目 東京駅 08:12 北陸新幹線はくたか555号にて
上田駅 09:46
10:00 上田駅温泉口より観光バスにて出発
上田城跡
真田丸大河ドラマ館
御屋敷公園(真田氏歴史館)
真田山城(本城跡)
真田町(車窓)
真田宝物館・真田邸・文武学校
長国寺
16:00 上田駅温泉口にて観光バス下車
上田駅 16:04 ローカル線、上田電鉄別所線にて国宝級の建物が多く残る別所温泉へ
別所温泉駅 16:35
旅館へ
2日目 旅館ご出発
●別所温泉散策
将軍塚
常楽寺
安楽寺
石湯
北向観音
別所温泉駅 15:03
上田駅 15:33
上田駅 16:15 あさま622号にて
東京駅 17:52

見どころ満載!!

上田城跡

上田城跡

上田城跡公園は、日本全国に名を馳せた真田氏の居城、上田城跡を核とした公園で、上田市の観光拠点になっています。樹齢100年といわれるケヤキ並木をはじめ、約千本の桜など花と緑に囲まれたゆったりとした公園です。

真田丸大河ドラマ

真田丸大河ドラマ館

大河ドラマ「真田丸」は、戦国時代の荒波に翻弄されながらも、的確に時代と人を読んだ真田信繁(幸村)の波乱万丈の生涯が描かれます。(NHKオンラインより) 当館は戦国の荒波を駆け抜けた主人公、真田信繁(幸村)の波乱万丈な生涯を描くドラマのストーリーに沿って、セットや衣装などを展示し、魅力的な大河ドラマの世界をお楽しみいただける施設です。

御屋敷公園(真田氏歴史館)

御屋敷公園(真田氏歴史館)

真田氏が上田城を築城する以前の居館跡で、地元では「お屋敷」と呼ばれ親しまれています。現在は「御屋敷公園」として整備され、ツツジの名所として知られています。

真田山城(本城跡)

真田山城(本城跡)

この城は真田山城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山などといわれますが、真田氏の本城にふさわしい規模や位置の城であることから真田氏本城跡と呼ばれています。

真田宝物館・真田邸・文武学校

真田宝物館・真田邸・文武学校

川中島合戦で活躍した真田幸綱(幸隆)をはじめ、江戸時代、真田信之から10代 250年にわたって松代を治めた真田氏、そして10万石の城下町として発展した松代藩の歴史にふれることができます。さまざまな道具類や資料を通じ、殿様の興味深い姿が身近に感じられることでしょう。

長国寺

長国寺

真田家の菩提寺として創建され、歴代松代藩主の墓所でもあった長国寺には、真田一族ゆかりの寺宝が数多く残っています。 長国寺と最も深い縁で結ばれた真田家の人物が、初代松代藩主であった真田信之です。講談や小説で英雄的に描かれた父・昌幸や弟・信繁(幸村)の影に隠れてしまいがちですが、戦乱の世で真田家を守り抜き、明治まで続く松代藩真田家の礎を築いた真田家最大の功労者といえるでしょう。

将軍塚

将軍塚

平安時代中期の武将。 平将門の乱平定で名を馳せた平 貞盛の甥で養子となり15番目の子として余五将軍と呼ばれた平維茂(たいらのこれもち) の墓とされています。 「鬼女紅葉伝説」 戸隠村(現長野市戸隠)で一党を組織して富豪の家々を襲うようになった紅葉。その噂は京都にも届き、紅葉討伐のために派遣されたのが平 維茂。平 維茂は苦戦するも、別所温泉の北向観音の加護によって紅葉を討ち取ったといいます。しかし、維茂も戦いに傷つき別所温泉での湯治も虚しく亡くなったとされています。

常楽寺

常楽寺

常楽寺は北向観音の本坊であり、ご本尊は「妙観察智弥陀如来(みょうかんざっちみだにょらい)」。 常楽寺は北向観音堂が建立された天長二年(825年)、三楽寺の一つとして建立されました。 その後、正応五年(1292年)四月、信乃国(信濃国)塩田別所常楽寺で書写されたと記述のある「十不二門文心解)」が金沢文庫に遺されており、また、本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、弘長二年(1262年)の刻銘のある石造多宝塔(重文)が保存されていて、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっています。

安楽寺

安楽寺

安楽寺はその禅宗としては、鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つです。 天正十六年(1588)ころ、高山順京が曹洞宗に改めました。 「建長(鎌倉の建長寺)と塩田(安楽寺)とは各々一刹により、或は百余衆或は五十衆、皆これ聚頭して仏法を学び、禅を学び、道を学ばんことを要す云々」これは大覚禅師語録(建長寺開山蘭渓道隆の遺書)の一節です。 これにより安楽寺は鎌倉時代中期すでに相当の規模をもった禅寺であり、信州学海の中心道場であったことがうかがわれます。 鎌倉北条氏の外護によって栄え、多くの学僧を育てていたこの寺も北条氏滅亡(1333年)後は、寺運も傾いて正確な記録も残りませんが国宝、重要文化財等数多くの鎌倉時代の文化遺産を蔵、信州最古の禅寺のおもかげを残しています。

石湯

石湯

【真田幸村隠しの湯】 大河小説「真田太平記」には、別所の湯がしばしば登場する。 物語の仲で重要な位置を占める向井佐平次が真田幸村と初めて逢うのも、その幸村が女忍者お江(こう)と結ばれるのも別所の岩の間から湧きだす温泉の白い湯気の中だった。 そして、関ヶ原の合戦には真田の忍者草の者達が、別所の里に身を潜めて上田城に篭城する昌幸親子をじっと見守るのである。 別所の湯、それは真田氏にとって大切な隠し湯だった。 今も豊かに岩の間から湧きだす温泉、石湯。 その前に建つ「真田幸村公隠しの湯」の票石は真田太平記の作者、池波正太郎氏の筆である。

北向観音

北向観音

厄除観音として知られる「北向観音堂」は、平安時代初期の天長2年(825年)比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁により開創された霊場です。 安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられます。 寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲(=源 義仲、1154〜1184年)の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが源頼朝(1147〜1199年)の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興されました。 本堂が北を向いているのは、わが国でもほとんど例がないようです。その由来は、観世音菩薩出現の際、「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」というお告げによるものといわれています。





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